2021/07/25 12:11
おはようございます。
やりたい事は「キャンピングカー旅(超特注仕様)」なのに、やるべき事は「霊廟作り」っぽい中崎です。
#何故だ
まー「責任感」持ちとして「死」「終わり」には縁が深い。
アヌビス神が如く、「キサマの死に方はコレで正しかったのか」≒「才能をちゃんと使いこなしたか」に通づるのかも。
…どういう事かわかり辛いと思うので、今日はここを深堀りしようかな、と。
それでは、はじまり、はじまり。
■「理想の死に方」は「人の使命」を可視化する。
コレはよくある質問だけれど…
「貴方は今世で、どんな死に方をしたいか?」
基本、この質問でその人の”使命”は大体わかる。
「理想の老後」なら”0コストで出来ちゃう事”がわかるし、
「無人島に持っていきたい物」なら”最高の回復手段”が大体わかる。
それぞれ「譲れない」「疲れない」「手放さない」だね。
「大事」「得意」「好き」とも言える。
この内、「得意」と「好き」は異なって良いし、その方が助け合える。
ただ、「大事」だけは相反するとダメだ。
必ず戦争を起こすから、ブッキングしてはいけない。
逆に言えば…
“「理想の死に方」さえ共有出来るなら、集団はそうそう崩壊しない”とも言える。
どれだけ魅力的に村を作っても、結局内紛が起きれば全部パー、だ。
この「村の理念」は、それこそ「0秒で全員が共有出来るオブジェクト」で表すのがイイ。
ピラミッドやタージマハルのような、コミュニティ共通のお墓…つまり「霊廟」が効く筈だ。
■死に方が判らない人間は、総じて腐る。
職場や家庭にもいないだろうか?
「かつて栄光を極めてしまったけれど、今では無残な残りカス」と化してしまった残念なオジサンが。
多分、実力自体はちゃんとあったのだけれど…
「どこでゴールしていいのか、ついぞ分からなかった」のが不幸の根源だったと思う。
小学校や中学校ではちゃんと「終わり」が明確だったのに、社会人になってからは「終わらせてくれる人」がいなくなる。
「定年」「引退」が年々引き伸ばされてしまったせいもあるのかな。
或いは「走り続けないとすぐに飢えて死ぬ」という自転車操業もマズかったか。
ゴールテープを用意されていないマラソンランナーが、いつまでも輝けるわけがないんだ。
■「じゃあ私の人生は、一体何だったんだ?」
…そんなもん、死後に冥界で裁きを受けろ。
とは言いたいが。
まぁ怖いに決まっている。
「役に立つ」で評価される時代は終わり、
「意味がある」に縛られればファンの奴隷となり、
「意味がなかった」と裁かれれば死んでも死にきれない。
かつては宗教がその役目を背負ったが、今ではなまじ科学が発達しすぎた。
北欧のバイキングは、「死後にはヴァルハラに招かれるから」あの厳しい環境でも生をやりきれた。
西洋宗教だって「主が全ての原罪を引き受けた」と約束してくれたから、民は己の現在を生ききれた。
我らが仏教国だって、「輪廻転生で報われるから」今世を良く全うしようと耐えられた。
こういう「超越者による保証」がないと己の人生に集中できない人は…今でもやっぱり、0ではない。
「ちゃんと貴方の人生には、目に見えて意味がありましたよ。」
こういう赦しを与えてくれるものが、コレからの流行になるんじゃないかな。
となるとやはり…
■「キサマ自身の手でキサマラが永劫眠る墓を作って次代に遺せ。」
このミッションは、結構皆に効くと見た。
いわばピラミッドやタージマハル、グラストンベリーや古墳に匹敵する「霊廟作り」だ。
同じ価値観、同じ理念を抱いた仲間と共に、生きた痕跡を共に刻んで時代を示す。
もはや観光名所にも至ったそれは後世の経済を支え、観光客という名の「墓参り」が毎年保証される。
「我らが生きた意味は、確かにここにあったのだ。」
この実感を得られれば、案外「今」という瞬間に生を実感出来る人は多いんでないかな?
■まとめ。
どの道「村」「コミュニティ」を作るのなら、まずは「霊廟」だ。
拠点となる「寺」とセットで運用すれば諸々が捗る筈。
高齢者ばかりで子孫がいない日本であれば、案外「クラウドファンディング/ドブ板の寄付金集め」でイケると思う。
既に「寺」を味方につけた「えんとつ町」と、
地に足をつけた「スピ系」の村に大注目。
※もはや比叡山級に強い。
さてさて一体どうなることやら。
不謹慎と言われればその通りだが、どうやら楽しい事になりそうだ。
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